阪急ブレーブス通信

〜阪急ファンで行こう!EVOLUTION〜

「1993年の鈴木一朗」(前編)イチローはこうしてスターダムを駆け上がった

 
イチローが遂に引退。ブルーウェーブ最後の現役選手であり、少しずつ離れつつあった阪急ブレーブス時代からのファンを、ふたたび球場に呼び戻した選手でもありました。
 

 
阪急ブレーブス色がまだ強く残る1991年秋、大型野手として注目された田口壮と時期を同じくして、鈴木一朗がオリックスに入団します。当時、球団はグリーンスタジアム神戸へ本拠地移転を計画。球場が広くなることから、打者を獲得する際には、肩や走力にも重きを置いていたと言われています。
 

 
インターネットも普及していない時代、貴重な資料源でもあった球団誌『BLUE THUNDER』に入団会見の模様が掲載されていたので、紹介します。誌面から、以前も紹介した中田昌宏編成部長と三輪田スカウトの、鈴木外野手への高い期待が感じられます。(写真)
 

 
※雑誌の安打数に誤りがあったため、当時の私が修正しています

   
プロ入団一年目の鈴木一朗は、いきなり開幕から二軍で打ちまくり、4割近い打率を残して、7月にはさっそく一軍に昇格します。当時、一軍では不動のライト藤井と新外国人マルチネスが離脱し、外野のレギュラー争いが激化していました。
 

 
それまで代打の切り札的存在であった村上が結果を出し、7月11日もホームランを放ちます。村上がライトのレギュラー奪取かと思われた矢先、村上はまさかのケガで退くことに。新人の鈴木にチャンスが回ってくるのです。
 

 
プロ入り最初の打席はダイエーホークス戦。本原から三塁ゴロで終わりますが、翌日も9番レフトでスタメンをはり、木村からライト前ヒットを放ちます。このヒットが、その後遥かに続いていく4367安打の、最初の一歩となります。

 
( ※レギュラー奪取まであと一歩だった村上も気になりますが、それは後日)

 
その後も、鈴木はファンに夢を持たせるような打撃を見せます。守備では主にレフトを守りました。なお、この頃のセンターは和製大砲、高橋智が守っていました。
 

 
※高橋智は足が速くないイメージを持たれがちですが、三塁打などの長打も多く、守備や走塁でもスピードあるプレーを見せてくれる選手でもありました。
 
(髙橋智選手に関する記事はこちら↓)  

 
そして翌1993年、パワーアップした鈴木外野手はオープン戦でも打ちまくり、タイゲイニ―を押しのけ開幕スタメンを勝ち取ります。
 

 
よく「土井監督はイチローを評価していなかった、才能に気が付かなかった」と言われますが、この頃土井監督は「うちの一番打者は田口か鈴木」と公言しています。
 

 
土井監督の評価に関しては諸々あり、ここでの批評は控えますが、少なくとも土井監督によるイチロー評についての誤った情報が「正しい情報」として広まることは、賢明なファンとしては避けるべきでしょう。(証拠として1993年の雑誌の一部を添付しておきます)

 
鈴木(イチロー)外野手については、これだけでは書き足りませんので、次回の後編までお付き合いください。次回はもう少しブレーブスと関連した内容にする予定です。
(K.G)
 
(後編はこちら↓)

 

 

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