阪急ブレーブス通信

〜阪急ファンで行こう!EVOLUTION〜

「1993年の鈴木一朗」(後編)イチローと勇者たちの邂逅(めぐりあい)

鈴木一朗外野手、プロ2年目の1993年。
守備位置も前年のレフトからセンターやライトを守ることが増えました。

 
そんな中、プロ初ホームランが生まれます。
鈴木外野手の初ホームランも、神がかったタイミングで生まれました。

 
当時はオリックス戦の地上波中継などほとんどない時代。ラジオ中継すらありません。そんな貴重なテレビ中継日に、しかも相手は野茂英雄から、テレビ放送終了直前にホームランを打つ(映像あり)という離れ技?を見せます。

 
結局、この年のレギュラー奪取はなりませんでしたが、この年に見せた非凡な才能から、ファンの期待は高まります。冬にはハワイのウィンターリーグに田口や小川と参加。ほかの多くの日本人選手が苦戦する中、鈴木自身は三割をマークし、日本人唯一のベストナインに選出されます。

※貴重すぎる野茂からのプロ初ホームラン映像

 
翌1994年は皆さんご存知の通り、登録名をイチローに変更し大活躍。年間210本ものヒットを打ちまくり、一気にスターダムにのし上がりました。この頃のイチローについては、今更ここで詳細を書く必要はないでしょう。

 
なおこの頃、勇者党の胸を熱くさせたことの1つに「守備」についてのトピックがあります。

 
優勝した1995~96年を中心に、レフト田口・センター本西・ライトイチローといいう鉄壁の外野陣が形成されます。ここで、それまで過小評価されていた名手・本西厚博の名前がやっとクローズアップされることになります。

 
田口、イチローとは異なりスタメンで出たり途中出場したりと、準レギュラーとして活躍していた本西。しかしその守備はイチロー・田口をして「本西さんにはかなわない」と言わしめるほどで、実際に本西の守備は日本シリーズでも輝き、敵将からも称賛されます。

 
一見、玄人好みのする本西選手の活躍に、阪急ブレーブス時代(「全日本トリオ」として、藤井・山越両選手とともに入団時から注目されていました)から応援するファンは溜飲を下げました。

 
また当時は、この頃のオリックス外野陣との比較対象として、阪急時代の「レフト簑田・センター福本・ライトウィリアムス」がたびたび登場し、「どちらが最強の外野陣か」とファン同士で議論するのも楽しみの1つでありました。

 
その後、少しずつ阪急戦士が少なくなってきた1999年から2000年頃にかけて、何度かイチローが「阪急時代から第一線で活躍してきた藤井さんと星野さんがチームの顔」という主旨の発言をしています。

 
ここにイチロー自身が「藤井と星野」に対して、また「阪急ブレーブス」に対して敬意を表していることが汲み取れます。また、このようなことを表立って発言してくれることを、嬉しく思う勇者党も多々存在しました。

 
※藤井に対しての発言をしている記事があります(写真)

   
もう一つ、阪急ファンが胸を熱くするのが、イチローとエース山田との師弟関係です。

 
1994年~96年、投手コーチと主力打者という間柄で話をする映像が当時のスポーツニュースで流れていました。チームを代表する新旧スターの2ショットに胸を躍らせた方もたくさんいると思います。

 
そして、この関係は2009年のWBCで同じ「投手コーチと選手」という関係として蘇り、あの「平成を代表する名勝負」、WBC世界一へとつながっていくのです。

 
イチローがいかにエース山田を敬愛していたかは、2000年に発売された『イチロー総監修インパクト!』で見て取ることができます。中日ファンであったイチローが「1番好きな投手」として山田久志を挙げています。これ以上の説明は不要でしょう。( ※写真あり)

 
多くの勇者党を熱くさせてくれたイチロー、阪急に対して尊敬の念をもって接してくれた彼は、阪急の「大人の野球」が似合う選手であったとも言えますね。
(K.G)

Number(ナンバー)975号「引退緊急特集 イチローを見たか。ICHIRO Last Game」 (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック ナンバー))

BBM1995 オリックスチームセット 2 レギュラーカード No.33 イチロー

価格:1,296円
(2019/6/4 21:42時点)
感想(0件)