阪急ブレーブス最後の年に救世主となったサウスポー古溝克之
プロ野球開幕。比較的前評判の良かったオリックスが絶不調。
負けがこむにつれて、「1988年以来・・・」というワードを紙面で見かける機会が増えました。
確かに1988年、チームの中心山田・福本から若手に切り替わる分岐点のような年で、それに加えて怪我人が続出、ストッパー不在と前後の87/89年と比べ少し物足りないシーズンと記憶している方も多いでしょう。
まず開幕三連戦、新1.2番の本西・福良、クリーンナップ、大砲候補の高橋智が噛み合わず、打線沈黙で三連敗。粘りを見せた4戦目は継投が裏目でサヨナラ負け。
やっと開幕から5戦目で古溝が完投で3-1で勝利をつかみ、波に乗るかと思いきや、6戦目以降チームは継投すれば失敗、続投しても失敗の連続で再び連敗街道へ。
日替わり打線も苦しさを物語っていました。
※開幕戦の勇太くんがデビューの際に転んだから、という説すらありました
4/19には開幕7連敗中の南海に対してまたしても継投失敗でサヨナラ負け、最下位に・・・。しかし、その窮地を再び救ったのが古溝。翌20日には完投勝利でチームは最下位脱出。
結局、このシーズンはチームは6月から持ち直すものの、最終4位で身売りへとつながりました。
しかし4月前半の窮地を見事に救った古溝は、前年まで通算8勝で防御率も常時5点以上だったことを考えると、急躍進でした。結局1988年は5月3連敗を喫するなど波があったこともあり、最終的には10勝10敗でシーズン終了。
オフの「プロ野球かくし芸大会」ではコントロールの良い投手代表として番組を盛り立てる場面もありました。
そんな楽しみが広がった古溝の翌1989年、歴代最強とも謳われたブルーサンダーを率いてチームは未曾有の開幕ダッシュに大成功し開幕8連勝を達成。
9連勝をかけた平和台でのダイエー戦に先発。味方打線が沈黙する中、ダイエーの両外国人に一発を浴びて3回で降板。前年とは真逆の連勝ストッパーとなってしまいました。
その後、1994年に他球団へ移籍した際は本当のストッパーを努め活躍しました。
移籍後は「土井元監督が取材に訪れた帰りに後方からボールを当てようとした」というエピソードやファミスタでなぜか右投げ登録されていたりと、ファンの間では話題に事欠きませんが、そんな第二の古溝はオリックスに現れるのでしょうか?
1988年の阪急屈指の逆転劇はこちら