阪急ブレーブス通信

〜阪急ファンで行こう!EVOLUTION〜

山田久志の「強すぎた」開幕投手のプライドが生んだ悲劇

プロ野球が開幕して1週間が過ぎ、ローテーションも1巡しました。
以前、ある芸人さんがラジオで、


「投手は開幕投手を務めたくないのよ、なぜなら、今後もエース級との対戦が続くから」

 
とコメントしていたのを聞いて、腹立たしく感じたことがあります。少なくとも私たち阪急ファンにとって、開幕投手とはその球団のエースが誇りもって務めるものであることを知っているからです。

 
1987年、前年に14勝を挙げたエース山田の自主トレの始動は、プロゴルファー青木功氏との合同トレーニングでした。この1月の自主トレ時から、当然ながら13年連続の開幕投手を意識していたことと思います。

 
この13年連続開幕投手は、実現すれば単独の世界記録となるものでした。

 
しかしながら山田自身はこの時期、毎年キャンプ・オープン戦とスロースタートながら、自らも「例年よりも少し体が鈍い」と感じる部分があったようです。

 

 
実際、オープン戦では打ち込まれることが多く、西宮球場でのオープン戦、対巨人戦では吉村・岡崎にあっさり本塁打を打ち込まれるなど、少し例年とは違う空気が漂います。

 
それでも最後はきっちりと仕上げて、開幕投手に臨むだろうと誰もが思った4月4日の中日戦。ここでも山田は、落合と中尾に決め球のシンカーを本塁打されてしまいます。

 
本来なら、ここでシンカーを磨きなおして開幕へ!・・・といきたいところです。また、この4月4日時点で上田監督も「よほどのアクシデントが無い限り開幕は山田(で行く)」と発言しています。

 
我々ファンも、オープン戦の結果はともかく、これまでの開幕戦で常に結果を残している山田に不安を覚えることは少なかったと言えるでしょう。

 
しかし、オープン戦で15回を投げて防御率9.00、シンカーも完全ではない。この状況で、「よほどのアクシデント」が起きてしまいます。それは、ケガなどのアクシンデントではありませんでした。

 
なんと、山田自身から上田監督に「他にいかせたい投手がいるなら、(開幕投手を)譲ってもかまわない」と発言したのです。

 
これに対し上田監督は「分かった」と承諾。ここ数年、17勝、21勝、14勝と結果を出し続け、オープン戦も順調の佐藤義則を開幕投手に指名します。

 
のちに山田は、「それでも開幕は山田(で行く)」という上田監督からの言葉に期待していたと言います。しかしながら結局、開幕投手は佐藤に決まり、4月10日の開幕を迎えますが、結果は6-6の引き分け。

 
翌4月11日に登板となった山田が完投し、開幕二戦目は10-1で快勝。以降、阪急の快進撃が始まりました。ただ、終わってみれば山田自身は7勝7敗と、大きく成績を落としてしまいます。

 
「もし」の話はひかえましょう。

 
それでも12年連続開幕投手という世界タイ記録と開幕戦で通算8勝の記録、そしてなによりここ一番での安心感と、まさにエースとしての頼れる姿を見せ続けてくれたエースを我々はずっと誇りに思うでしょう。

 
それと同時に、「開幕戦は当然勝てるもの」ではないことをこれ以降、私たちは痛感することになります。(K.G)

 
※この内容に関しては当時の新聞記事、山田氏の著書、ドキュメンタリー番組をもとに作成しています。皆さんが伝え聞いた内容と異なる場合があるかもしれませんが、ご了承ください

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