阪急ブレーブス通信

〜阪急ファンで行こう!EVOLUTION〜

内外野ともハイレベル。究極のユーティリティプレーヤー本西厚博(前編)

シーズンオフとなり各球団が来シーズンに向けて動き始めています。オリックスでは、昨年遊撃手から外野へコンバートされた宗選手の内野手への再転向が噂されています。


レギュラーを取るために多くのポジションを守れるように取り組む姿勢には感心しますが、こういう記事を見かけると、かつて阪急・オリックスで活躍した「究極のユーティリティプレーヤー」とも言えるあの選手を思い出します。


スタメンでも途中出場でもしぶとく勝負強い打撃を見せ、守っては内外野ともに非常に高いレベルの守備を誇った本西厚博選手(以下敬称略)です。

 
本西選手は高校時代は投手として全国大会にも出場するほどの活躍をし、その後社会人へ進み野手へ転向します。


余談ですが、本西選手の投手としてのポテンシャルの高さは1996年オフのテレビ特番「とんねるずの生ダラ」にて、ファン感終了後のグリーンスタジアムで、定岡正二チームと「オリックス+石橋貴明」チームの軟式の試合が行われました際に投手として登板したことでも証明されています(笑)。

(この対戦でとんねるず石橋の背番号は9に濁点をつけて「ギュー」。これは神戸牛からとったダジャレのようなものですが、後のオリックス・バファローズを予見していたのでしょうか…)。


そんな本西選手、社会人時代には野手として大活躍し、1985年秋のドラフトで阪急ブレーブスの指名を受け、翌々年に入団します。同期入団の山越・藤井選手とで「全日本トリオ」として売り出され、入団時から注目を集めました。

入団時の様子


入団当初は外野手としてレフトを守る機会が多かった本西選手ですが、松永がケガをしたときはサードとして出場、当たりの弱い打球は素手でそのままキャッチするなどアグレッシブなプレーを魅せます。


シーズン途中からはセンターを守る機会が増え、外野守備の中心的存在になっていきました。打撃でもしぶとい活躍を見せ、上田監督に「1番センターを打たせたい」と言わしめます。

 
期待されて迎えた2年目は前年の勢いそのままに開幕スタメンを勝ち取ります。5月から調子を上げ始め、7月初旬に打率.297と3割まであと一歩のところに迫ります。


迎えた7月10日、秋田の試合で代走で登場。2盗を試みますが、開始前からザラザラした土が「合わない」と思っていた予感が的中。スライディングの際に足の靭帯断裂と骨折という大けがを負ってしまい、阪急ブレーブスの本西の勇姿はこの試合で見納めとなってしまいました。

 
翌1989年、球団がオリックスに変わり、史上最強と謳われたブルーサンダー打線の中で、残り1枠のセンターを誰が守るのか?と開幕前にはファンの間で話題となりました。当初は南牟礼がレギュラーをつかみかけていましたが(対左腕の際はセンター本西、ライト南牟礼)、5月中旬からは本西が死守、特に5/26の西宮球場での活躍は胸躍る内容でした。


今回はこの89年5月の活躍に注目してみましょう。
 


【5/26 西宮球場 対近鉄】

 
1.5差まで迫る2位の近鉄を迎えての3連戦初戦。先発は佐藤義、初回いきなり淡口に満塁弾を浴びて、1点を返すも劣勢で試合は進む。投手陣は勝ちパターンの投手継投でその後もちこたえ1-4で9回裏へ。相手はこの回から加藤哲。


南牟礼の四球やブーマーの安打で一死満塁のチャンス。ここで門田は内野ゴロを打ち併殺で試合終了かと思われたがセカンド大石の悪送球で2点を返す。石嶺四球で二死1,2塁。打者藤井のところで左腕石本。当時、対左腕ではなかなか出番が無かった藤井が見事にレフト前安打で何と同点!


ここで登場した本西、相手投手は抑えの吉井にスイッチ。ストレートのみで2ストライクに追い込まれるも「次もストレート」と狙いを定めて振り抜いた打球はライト前へ。本人曰く「初めてのサヨナラ打」で見事に勝利!勢いそのままにその後、対近鉄3連勝につなげた。


※この時点で本西の打率は3割をこえています


89年前半のハイライトが、この近鉄戦なら、後半のハイライトは間違いなく10月の西武戦と言えます。この試合の活躍に興奮した方も多いと思います。


こちらの西武戦については(後編)で詳しく紹介いたします。
(K.G)