多くを語られることがない山田監督(中日時代)が築いた礎
我らがエース山田久志氏が中日ドラゴンズの監督を努めた時代については、それほど多く取り上げられることがありません。
わずか2年の就任期間、しかもシーズン途中での電撃解任と、我々阪急ファン(山田ファン)には辛い思い出でもあります。
また、どうしても前任の星野仙一監督のイメージが大きかったこと、地元意識の強い中日にあって、自身が外様であったことなど、当時の山田さんの苦労はいかほどであったかと察します。
そんな中日、山田監督の「功績」についての記事がスポルティーバにありました。珍しい記事だと言えると思います。
谷繁をFAで獲得、福留を外野へコンバート、アライバコンビの起用など、後に中日を牽引する戦力を整えたという点では、たしかに山田監督が後の中日の戦力の礎を築いたと言えます。
本記事は前後編となっており、こちらは前編です。前編も後編も丁寧に記述されており、良い記事だと感じます。
これを読むと、「監督」とは結果が求められる立場であるものの、優劣の判断はとても難しいことなのだと気付かされます。
連載「礎の人~栄光の前にこの人物あり~」
第3回:山田久志(前編)
(スポルティーバ)