阪急ブレーブス通信

〜阪急ファンで行こう!EVOLUTION〜

平成プロ野球の幕開け「青いブレーブス」圧倒的破壊力の衝撃(前編)

2019年4月で平成が幕を閉じるにあたり、平成元年の開幕戦のことを2回にわたり(前編・後編)振り返っていきますのでお付き合いください。

 
勇者党の皆さんは、阪急と昭和が同時に終焉を迎え、不安の気持ちを抱いたまま平成とオリックスブレーブス元年に突入したことと思います。

 
昭和63年、阪急ブレーブスだけでなく福本・山田の両看板が引退したこともあり、チームの激変期を迎えました。またブーマーの長期欠場、石嶺・山沖らの不調もあり、全体的に低調気味であったことは否めません。一方で星野や藤井の台頭など明るい兆しも見えていました。

 
この昭和から平成にかけての過渡期に、当時、球界随一の活躍で話題をさらったと言える門田の電撃入団が発表されます。

 
また、ドラフトでは即戦力としている酒井を抽選で引き当て、2位では小川を獲得します。投手の頭数が足りていないと言われていたこの時期、酒井の入団は明るい話題でもあり、1年後しっかりと結果を残すことになります。

 
さらに、弓岡と山越で争っていたショートのポジションも安定感を欠いていましたが、割って入った小川がここから何年もの間、定位置を確保したことを考えると、オリックス元年の戦力補強は大成功だったと言えるでしょう。
 

 
そして、現有戦力では前年故障のブーマーがしっかり減量してキャンプ・開幕に仕上げてきます。そこには新加入門田の影響が非常に大きかったと言われています。

 
捕手は藤田と中嶋のハイレベルな争い、打順はブーマー、門田、石嶺、藤井とホームラン打者が並ぶため、今までクリーンアップを打っていた松永が1番へ。

 
従来の1番打者の概念である打率・盗塁・出塁が優れているということに加え、長打のあるスイッチヒッターとしてクリーンナップを十分に打てる松永が、福本引退により空いた一番に座ったことで、今でも伝説と言われる「ブルーサンダー打線」が完成したのです。

 
平成最初の公式戦。前年、開幕3連敗を喫した近鉄相手に幸先良いスタートを切りたいところ。この試合に関しては・・・次回、しっかり振り返ります。(K.G)

 
※後編はこちらから