阪急ブレーブス通信

〜阪急ファンで行こう!EVOLUTION〜

「阪急最後の一軍デビュー」風岡尚幸のプロ初安打を祝福した土井監督の粋な計らい

 
交流戦も終盤となりました。調子が上がってきたオリックスでは荒西やエップラーの初勝利が続き、アナウンサーから「そのウィニングボールは(どうされますか)?」と聞かれるシーンを見かける機会も増えました。
 

 
最近はプロ初ヒットや初勝利などがあれば、記念のボールは回収され、本人に渡されます。その後、記念のボールを手に写真撮影が行われたり、記念グッズが発売されるのも恒例となりつつあります。
 

 
しかし、ひと昔前は全ての選手に対してそのようなお祝いをするという風習はありませんでした。またインターネットが今ほど普及していなかった頃は、ファンが全ての細かい記録を注視する風習も無かったように思います。
 

 
そんな中、今回はいつもベンチで渋い顔をしている風岡コーチの初ヒットについて振り返ります。1995~96年は渋い活躍で優勝に貢献した風岡尚幸が阪急ブレーブスに入団したのは1986年。春日丘高校から入団した際は、内野手としての高い守備力を評価されていました。
 

 
入団後は、3年目に一軍を経験するも安打なし。この一軍デビューは阪急ブレーブスが消滅する1988年10月23日の一日前、10月22日のことでした。阪急ブレーブスで最後に一軍デビューを果たしたのが、誰あろう風岡氏なのです。
 

 
その後、自慢の守備を披露する機会もなく迎えたプロ6年目の1991年。チームが本拠地を広いグリーンスタジアム神戸に移転するのに伴い、守備を重視する方針が少しずつ打ち出されます。
 

 
また、不動のセカンド福良がケガで長期離脱したこともあり、4月後半から風岡の出番は少しずつ増えていきます。
 

 
実際、「弓岡2世」とも評されたという守備は非常に安定しており、ランナー二塁でセカンドを守っている時に、気配を消しながら後方から二塁に回り込みけん制アウトを誘うといったプレーでファンを沸かすこともありました。
 

 
しかし、なかなか初ヒットがでません。この時期、1991年4月頃はチームが類をみない開幕ダッシュに失敗した年でもあり、チーム全体が勢いを失いかけていた時期でもありました。
 

 
迎えた5月1日の姫路の試合。期待のルーキー長谷川が先発するも5失点。打線も湿りがちで、試合の中盤には大勢は決まってしまいます。そんな中9番セカンドで出場した風岡がレフト前にヒットを放ちます。
 

 
6年目にしてチーム初安打ということを知っているベンチは大きな拍手で盛り上がります。しかしながら試合はそのまま続き、その後打席に入った1番本西がファールを放ちます。
 

 
そのボールを取りに行ったボールボーイが1塁ベンチ前に差し掛かった際、「オイ、そのボールを持ってきてくれ」と声をかけた人物は他ならぬ土井監督でした。
 

 
ボールを受け取った土井監督は「初ヒットのボールだ、風岡に渡しておいてくれ」とマネージャーに伝えます。敗色濃厚の試合で見せた指揮官の気遣いでした。
 

 
今では、プロ初ヒットは誰しもが分かっていて相手選手や審判が当人に渡しているのを見かけますが、当時はそうでもありませんでした。一部の偏った報道により、全てを否定されているかのような土井監督ですが、こういう温かい面もあったのですね。
 

 
今後、風岡コーチの前で初ヒットや初勝利を挙げる選手の躍動が楽しみです。(K.G)