“ゲット・バック” 「1966年の西本幸雄」緊迫の信任投票事件
50余年前の1966年、ビートルズが初来日を果たしました。当時の熱狂はすさまじく、日本中が来日フィーバーに揺れました。
時を同じくして1966年のプロ野球、パ・リーグでは、早々に優勝争いから脱落して5位に終わった阪急ブレーブスに激震が走りました。
指揮を執る西本幸雄監督が、フロントと何名かの主力選手が方針に従わないことを不服とし、選手全員に自身が続投すべきかどうかの信を問いました。いわゆる「信任投票事件」です。
投票結果には、わずかながらも監督への不信任を示すものがあり、この結果に愕然とした西本監督は辞任を申し入れ、自宅に引きこもってしまったそうです。
もはや監督解任は免れない状況となった中、当時の小林米三オーナーだけは「阪急ブレーブスの再建は西本以外にない」「何があっても留任させろ」と厳命したとのこと。
これにより西本監督の辞意は翻り、翌年も西本体制は継続。前年の5位から一気に初優勝を果たし、その後在任中リーグ優勝5回の「阪急ブレーブス第一次黄金期」へと繋がっていきます。
ビートルズ来日の狂騒とは違った意味で、大きく揺れた1966年の阪急ブレーブス。もしも西本監督が辞意を翻意して帰ってきてくれなければ、チームはどんな歴史を辿っていたのか。
少なくとも、私たちが目にした「勝って当たり前」の、あの強いブレーブスは見られなかったかもしれません。
そう考えると小林オーナーの彗眼と、西本監督に賭けた熱意にもあらためて感心させられるとともに、当時「弱小」といわれたチームを鍛え上げるには、これぐらいの強い覚悟が監督にも求められていたのだと、驚かされます。
弱小チームから、名門とうたわれた強豪へ。1966年の「信任投票」はまさに阪急ブレーブスの歴史を変えた転換点だったと言えます。
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