「京の聖地」西京極球場の阪急ブレーブス
昨年5月27日に京都のわかさスタジアム(西京極球場)にて、「阪急ブレーブス復刻イベント」として、阪急×ロッテが行われました。(※以下、西京極球場と表記)
今までの京セラドームの復刻イベントとは異なり、阪急ブレーブスが使用していた西京極球場で復刻イベントが実施されたのは意味が深かったと言えるのではないでしょうか。その証拠に当日の球場には多くの阪急ユニフォームを身にまとった「ブレーブス世代」の方が多いように感じました。
肝心の試合は、当時このユニフォームで投打のプリンスと言われた星野・藤井を彷彿とさせる田嶋・山本と吉田正の活躍で阪急が見事勝利しました。
この球場はご存知の方も多い「1967年阪急ブレーブス初優勝の地」でもあります。創立から長い年月を費やし、ようやく黄金時代の幕をあけたその日、西本監督と小林米三オーナーがネット越しに指で握手したシーンはいつ見ても感慨深いものがあります。
毎日新聞に特集記事がありました。
関西50年前【昭和42年10月】写真で振り返る「今月」
https://mainichi.jp/articles/20170925/oog/00m/040/032000c
↓この1967年阪急ブレーブス初優勝の前年に起きた衝撃の事件はこちら
そしてもう1試合。阪急は負けが少ないチームでしたが、数少ない敗戦について。復刻試合で特別始球式を行ったのは我らがエース山田。
その山田が引退した1988年。7月の時点で勝ち星は1つ。そして迎えた7/5西京極球場の近鉄戦。平日のナイターを関西テレビがテレビ放送。
山田は投球術が冴え、8回裏終了時点で3-2と阪急がリード。迎えた9回表、完投勝利めざしマウンドへ。しかし、勝利を願う阪急ファンの期待は金村の二塁打と真喜志の飛びつきスクイズによって阻まれます。
9回表痛恨の2失点。結果3-4で負けてしまいました。我々が西京極で山田の姿を見るのはこの時以来です。
なお西京極球場での阪急ブレーブス最後の試合は翌7月6日。同じく近鉄戦。佐藤義が完封にて1-0で阪急が勝利しています。(K.G)