阪急ブレーブス通信

〜阪急ファンで行こう!EVOLUTION〜

1983年夏の劇的弾。松永浩美はこの一打でスター街道を歩み出した

 
レギュラーとして活躍する選手にはある試合が「きっかけ」となることが多々あります。たったひとつのプレーがきっかけでスター街道を歩み始める選手、また一方でレギュラーの座を失う選手。プロ野球の世界では非情なほどにこうした機会を目にします。
 

 
今回はある試合を「きっかけ」にし、後に阪急ブレーブスからオリックス時代にかけて主力として大活躍した「史上最強のスイッチヒッター」松永選手の、若武者時代の活躍を紹介します。
 

 
【1983年8月31日 阪急×ロッテ 西宮球場】
 


福本豊が2000本安打にあと一本に迫ったこの日。主役となったのは、その福本や前日にサヨナラ打を放ったブーマーでもなく、そのサヨナラ打の際に本塁でブーマーのバットを引き忘れ、大目玉を食らった松永浩美選手。
 

 
当時の松永は実質レギュラー2年目の若手。試合出場が続いていましたが、とはいえ前年の打率は2割3分台、この年も2割後半を推移。
 

 
試合は山沖とロッテ中居の先発で試合開始。両先発が好投を続け、8回裏まで0-0の同点。9回表に試合は動きます。高沢とリーの連打で、打席に迎えるはその時点で通算99号本塁打の落合。
 

 
中居が先発の日には落合はよく打っていました。この日はここまで3打数ノーヒットも山沖の投球にタイミングは合っていた。悪い予感は的中し落合に3ランを許す・・・。
 

 
万事休すかと思われた9回裏、先頭片岡の打球は一塁落合の前でイレギュラー(記録はエラー)で出塁。続く柴原は松永と同世代。のちに92年以降、準レギュラーとして活躍を見せるが、この年は社会人から入団してプロ2年目。ここで柴原はプロ初ヒットを放つ。
 

 
続くはこの時点で通算安打1999本の福本。しかし福本は左飛で2000本ならず。次打者の弓岡が粘り四球。
 

 
9回裏、スコア0-3、一死満塁で松永が打席に向かう。
 

 
この年、おもにクリーンナップの3番には簑田が座っていたが、この日は欠場。松永が3番で出場していた。この打席、前述の同年柴原のプロ初ヒットで気持ちが乗っていたという。
 


終盤に来てフォークを連投する中居に対して松永はファールで粘る。その後、現代野球では考えられない投球数、157球目のフォークを松永はライトスタンドに運んだ。「逆転サヨナラ満塁ホームラン」である!
 

 
翌年から3年連続3割をマークする松永が「あのホームランが、僕のスタートと言っても過言ではない」と語るまさに「きっかけ」となる一打であった。
 

 
一方、あと一歩のところで勝利を逃したロッテ中居は、期待されながらも通算2勝のみでユニフォームを脱いだ。活躍の「きっかけ」を松永に持っていかれた印象だ。
 

 
この日の試合をよく覚えているという落合の表現が絶妙である。
 

 
「あそこで打たなかったとしても、松永は一流になれただろう、でも。中居が完封勝利を挙げていたら・・・」
 

 
プロ野球の世界は残酷であるが、それゆえにドラマチックでもある。ペナントレース終盤戦、今年はどんな劇的な「きっかけ」が生まれるのか。まだ目が離せない。
(K.G)
 

 
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