阪急ブレーブス通信

〜阪急ファンで行こう!EVOLUTION〜

「伝説のホームランキャッチ」山森雅文は打ってもすごかった

 
阪急ブレーブスの背番号36、守備の名手山森雅文選手といえば、みな真っ先に思い出すのが、あの1981年のスーパープレー、西宮球場での対ロッテ戦で見せた、レフトフェンスによじ登ってのホームランキャッチ(「THE CATCH」)でしょう。
 

 
米国野球殿堂でも表彰されたこのプレー。あのホームランキャッチは決して偶然でも何でもなく、普段からあの練習をしていたというところに、山森選手のプロ意識を感じますし、そういう指導をしていた当時の阪急ブレーブスの強さを改めて思い知らされます。
 

 
以前発行された『ベースボールマガジン 』に「スーパーキャッチ」と題して山森氏の特集が組まれていました。こちらでは山森氏へのインタビューで、スーパープレーを生んだ背景が紹介されています。
 


  
練習では、打球音だけでボールの落下地点を予測するための目を瞑っての練習など、驚くような練習が紹介されています。インタビューでは当時の大熊コーチのノックが絶妙であったことへの感謝が述べられています。
 
 
ホームランを文字通り「もぎ取った」81年のあのスーパーキャッチ。
後日山森選手と大熊コーチがお互いに「練習通り」と納得しあったというエピソードに、教える側と教わる側の、それぞれのすさまじいプロ意識が垣間見えます。
 

さてそんな山森選手、「守備の人」という印象ばかりが強まりがちですが、阪急ファンは彼の勝負強い打撃も記憶しているのではないでしょうか。山森選手は守備ばかりではなく時折勝負強い打撃でチームを救いました。

 
今回は中でも1986年の山森選手にスポットを当ててみたいと思います。
 

・1985年までの実績
山森選手は 1979年に阪急に入団しますが、その同期や同世代で石嶺や松永といった後の阪急を支える主力組が入団。また、その数年後には福良や柴原など同級生の好打者たちが入団します。この世代はまさに「阪急ブレーブス後期の黄金世代」と言えるでしょう。
 
 


そんなライバルたちとしのぎを削りながら、3年目の1981年には100試合以上の出場を果たします。あの「ホームランキャッチ」が生まれたのもこの1981年の出来事です。そして、1984年は200打席以上、6本塁打など打撃でも活躍し、阪急のパ・リーグ優勝に貢献します。
 

 
・1986年の9月まで
福本、簑田、熊野が中心となった外野陣で、守備固めや代走を中心に活躍していた山森選手。簑田が離脱した際はスタメンの機会を得ることもしばしば。この年の9月終了時の打撃成績は打率.236、本塁打 6本。
ここから10月にかけて素晴らしい打撃を見せます。
 

 
10/4 後楽園で田中から2ラン
10/5 後楽園で柴田から2試合連続の8号ホームラン
10/8 藤井寺、代打で2安打、シーズン初の勝利打点
10/9 藤井寺 守備固めで1安打
10/10 西宮 途中出場で1安打、1打点
10/15 後楽園 スタメンで河野からホームラン
10/17 川崎 スタメンで2安打1ホームラン
10/18(1試合目) 川崎 スタメンで1安打2打点
10/18(2試合目) 川崎 スタメンで2安打1打点
 

 
見事な締めくくりで.283 10本でシーズン終了。 レギュラー主力陣も真っ青のすばらしい打撃成績を残します。

 この年、113打数で10本塁打、本塁打率(打数÷本塁打)は驚異の11.3!これは11.3打席に1回ホームランを打つということ。
 

 
打数が少ないとはいえ、2017年ホームラン王のデスパイネが13.7であることを考えればいかに凄いかわかるでしょう。
※11.3はマニエルやデストラーデとほぼ同じ数値
 

 
結局、この年は113打数しか機会が無かったものの、得意の守備が評価されゴールデングラブ賞を獲得。これも立派なものですが、10月にみせたきれいな打撃の締めくくり、これにあやかり今年のチームも後半戦を見事に締めくくってくれることをお祈りいたします(K.G)

 
 
(↓山森選手が活躍したオリックス時代の記事はこちら)