阪急ブレーブス通信

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1990年9月、上田監督1000勝「最後のブレーブス」は強かった

 
上田監督がブレーブス時代に積み上げた勝利数、その数なんと1012勝。中でも1000勝目は「ブレーブス」の名前が消えることが決まった1990年の9月。「ブレーブス」最後の年であると同時に、上田監督にとっても阪急・オリックスで指揮を取る最後の年でもありました。

 
この試合はそういった意味でも、様々な点でメモリアルな試合ですが、予想を超える試合内容でした。
   

 
1990年9月9日、その試合を振り返っていきましょう。
 

 
【1990年のオリックス・ブレーブス】
この年限りでブレーブスの名称が無くなること、本拠地が西宮球場から神戸に移転すること。そして、上田監督が勇退することは8月から9月初旬にかけて発表されていた。
 

 
チーム成績は、前年1厘差で二位になったこともあり、期待されてのスタートであったが、ブーマーや福良の離脱、投手陣がやや手薄であったこともあり、首位を奪うには至らず、安定して二位の座を確保。
 

 
一方、西武が投打ともに抜群の安定力を誇り、年間を通じて独走した。また、前年まで固定していなかった抑えも鹿取と潮崎の加入で盤石となった。
 


 

 
【9月9日】
首位からは大きく離されていたが、好天に恵まれ日曜日ということもあり3万2千人を集めた西宮球場。試合前には加藤秀と高井のOBホームラン対決が行われた。投手は梶本コーチが務め、球場は大いに盛り上がった。
 

 
この年、球界全体に打高投低だったことに加え、両チームに打撃タイトルを争う選手が多いこともあり乱打戦で始まる。勇者は石嶺・小川・松永・門田・熊野のホームランが飛び出し、中盤で7-3でリードを広げたが、後半にかけて秋山・デストラーデに打ちこまれ、9回表終了時点で7-11でリードを許す。流れも完全に西武へ・・・。
 

 
【9回表】
西武のマウンドには前の回から鹿取が上がる。この90年に巨人より加入。
 

 
・一死走者無し 7番中嶋
一か月前、同じ西宮球場の西武戦でけがで戦列を離れ、復帰したばかりで気合が入る。打撃に磨きがかかった21歳の打球はレフトポール際へ・・・、見事なホームランで1点を返す
(8-11)
 

 
・一死走者無し 8番小川
入団初年度からレギュラーを奪取した二年目の小川。四球で出塁。
(8-11)
 

 
・一死一塁 9番代打本西
前年つかみかけたレギュラーもこの年はケガで出番が減っていた。しかし、前年身に付いた勝負強さでライト前にしぶとくヒットを放つ、小川は三塁まで走る。
(8-11)
 

 
・一死一三塁 1番松永
前年からトップバッターになり「最強1番打者」として強力打線を牽引し、チームの象徴的な存在になりつつあった。この年は打率は落ちたがホームランはこの日に20本に乗せた。この打席ではよく粘り、最後はインローを見極め四球を選ぶ。球場も「いける」という雰囲気に変わる。
(8-11)
 

 
・一死満塁 2番佐藤和弘
ルーキーイヤーとなるパンチ佐藤。ブーマー離脱によりシーズン後半は2番一塁手として3割を打つ活躍を見せる。相手投手が左腕か西宮球場のマウンド傾斜を得意とする潮崎に代わるとも思われたが、鹿取続投。コンパクトに振り抜いた打球はセンター前へ。三塁走者が生還。
(9-11)
 
  


・一死満塁 3番門田
この日、既に1本のホームランを放っている42歳が静かに打席に入る。「ワッショイ」コールでスタンドも後押し。「併殺を防ぐ」「当てに行く」そんな仕草は微塵もない。1本目のホームラン同様に振り切った打球はセンターへ。どこまでも伸びる・・・。逆転サヨナラ満塁ホームラン!
(13-11)
 


上田監督は劇的な内容で1000勝を達成した。これに飽き足らず、門田は翌日も西武戦でサヨナラホームランを放ち、上田監督に1001勝目をプレゼントした。門田はこの年、31本塁打を放ち、42歳のホームラン記録を打ち立てた。
 

 
そう言えば、9月9日はとても縁起が良いとされる「重陽の節句」。ここまで良いことが重なるのも珍しいですね。(K.G)
 


 
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