阪急ブレーブス通信

〜阪急ファンで行こう!EVOLUTION〜

「1970年の福本豊」黒い霧を晴らす背番号40の疾走

 
通算1065盗塁。2543安打。208本塁打。「世界の盗塁王」福本豊さんについて、いまさらここで阪急ブレーブスファンの皆さんに詳細な説明が必要なトピックは少ないでしょう。
 

 
現役引退後も解説者として私たちファンを楽しませてくれているとともに、折りに触れ阪急ブレーブスについてのイベントを開催されるなど、阪急ファンにとっての心の拠り所とも言える存在です。
 

 
そんな福本さんですが、入団時からの3年間は、我々がよく知る背番号「7」ではなく、背番号は40番でした
 

 
背番号を7に変えた1972年に当時の世界記録となる106盗塁を記録したことで、国民的な注目を集めたこともあり、それ以前の福本さんについてはあまり触れられることがありませんが、既にこの背番号40の時代に、盗塁王のタイトルを獲得しています
 

 
その後遥か続く「世界の盗塁王」への一歩とも言える、最初の盗塁王のタイトル獲得は、この背番号40をまとった、1970年のことです。
 

 
168センチというプロ野球の世界ではひときわ小柄な体格ながら、その才能を見出され1969年に阪急ブレーブスにドラフト指名された福本さん。
 

 
本人は翌日の新聞で自身がドラフト指名されたことを知ったと、後に語っている福本さん。「(同じ松下電器にいた)加藤英司(秀司)のついでで指名された」とも言って本人は謙遜されていますが、入団当時から、西本監督(当時)好みの選手として注目されていたようです。
 

 
そのためか、プロ入り後の一軍での出場は、同期の山田久志さん、加藤英司さんよりも早く実現しています。
 

 
一軍初出場からわずか2試合目でプロ初盗塁を決めた福本さん。その後も、二軍落ちを経験しながらも着実に試合出場を重ねます。
 

 
プロ二年目となる1970年には打撃も進化を見せ、一気にレギュラーを獲得。試合に常時出場するようになると、盗塁数も増加します。
 

 
結局この年、福本さんは75盗塁を記録。初の盗塁王に輝きます。ここから実に13年にわたり、盗塁王のタイトルを独占し続けます。まさに福本豊の時代を築くことになるのです。
 

 
この1970年頃は、いわゆるプロ野球での八百長が取り沙汰された「黒い霧」事件に球界が揺れた時代です。そんな時代に、希望の光のように颯爽と現れた福本さんの快走が、この霧を晴らし、プロ野球に明るさを取り戻したのです。

 

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